Brief History
of ASTINA

ここでは、アスティナ登場後のマツダ全体の動向について、
私情を交えて紹介します.
以下の記述は、全て編集者の中原の解釈によるもので、
「マツダ」を含めて他のいかなる個人・団体とは関係がありません.


Debut!
バブル期で日本経済も好調だった1989年春、7代目ファミリアシリーズの一員として、アスティナはデビューした.
歴代のファミリアシリーズには「実用車」としての5ドアハッチバックモデルが存在したが、いずれもパッとしないクルマで、売り上げには特に見るべきものはなかった.

そんな中、アスティナは未だかつてなかった流麗なデザインをまとって登場した.

グレードは3種類馬力(HP)燃費(10mode,MT)
1500 SOHC91ps15.6km/l
1500 DOHC110ps14.0km/l
1600 DOHC130ps12.4km/l

燃費の良い1500SOHCから、ロードスターにも搭載された1600DOHC(しかもロードスターよりも10psパワフル!)この3つのグレードで、買い物の「アシ」から走り屋までをカバーする戦略だったと思われる.


Breaking out the huge movement
ところで、マツダのマーケット開拓力には、特筆すべき物がある. 5代目ファミリアからはじまった1500ccクラスのFFハッチバックブーム. ロードスターに端を発した世界的なライトウェイトスポーツの大流行. キャロルに続く、「丸い」軽自動車ブーム. デミオの好調な売り上げ推移.

しかし、巨大なムーヴメントを興したものの、自らが切った関から流れ出す激流に押し流されてしまうのは、先駆者の悲しい性かも? (全てがそうではないが^^;)

では、マツダはアスティナで何か新しいムーヴメントを興せたか?
かなり難しい疑問だと思う.

強靭なボディ剛性
アスティナを含めて、7代目のファミリアの特徴は、強靭なボディ剛性にある. ドイツ車では当り前の事だし、プリメーラをはじめとして当時の日本車は同じ方向に走っていた事は事実.
言うまでもないが、ボディ剛性を高めると言う事にはふたつの側面がある. 第一に、衝突安全性を高める事. そして、操縦安全性を高める事.

マツダはこの二つを、アスティナの代から始めていた. そして、プリメーラの成功を横目で見ながら、次の世代ランティスで見事に達成した.
日本で初めて、衝突実験映像をCFで使用したのも、ランティスだった.

その高いボディ剛性は、トヨタが強靭ボディを売り物にした「ゴア」テクノロジーが出てくるまでは、独走していた.
その後、マツダは「マグマ」テクノロジーで対抗する. ボディ剛性アップは、既に当り前の事になっているが、「ゴアを倒すのはマグマ大使」と言うおちゃめな発想に、拍手を送りたい!

伝統にとらわれない自由なデザイン
バブル期には、個性的かつ前衛的なデザインを持つクルマがいくつか登場している.

日産NXクーペサニーシリーズの3ドアHBとしてデビュー.
黄色いボディカラーが新鮮.
トヨタセラスターレットをベースにして、ガルウィングのドアを持つ小型クーペ.
他にも兄弟車「サイノス」がいる.
マツダユーノス
ロードスター
世界的大ヒットとなった低馬力小型FRスポーツカー
三菱GTOギャランVR-4をベースに作った、フェラーリ的ルックスの大型スポーティーカー
重量が1.7トンもあるにも関わらず、太いトルクで豪快な加速を味わえる.
軽乗用車AZ-1
Beat
Cuppcino
小型ながら、人車一体感を味わえるエキサイティングなスポーツカー達.
特にAZ-1は樹脂製の着脱式ボティパネルと、ガルウィングのドア、異常に高いサイドシル等、従来では考えられない奔放なデザインを持つ.

そんな中で、アスティナのボディデザインは(過去にはありえなかった)5枚のドアを持つスポーツカーの可能性を切り開いたと言えよう.
5枚ドアにこだわるフランスのシトロエンが、この時期からさらにスポーティな5ドア車を連発する様になったのまで、アスティナが影響を与えているとは思わないが、しかし、先陣を切って飛び出したアスティナの功績は、次の世代のランティスのヒットと根強いエンスージアストの存在が物語っているのではないか?


バブル崩壊
好景気に浮かれていた日本経済だったが、崩壊はいきなり訪れた.
危機はマツダにも訪れた. 好景気の間に高級車路線を押し進め、贅沢な設備投資を行い、高い利益を生む高価なクルマを作り、大量に売りさばく予定だった.

カペラの後継車「クロノス」は売れなかった. 兄弟車のユーノス500,オートザム・クレフも然り. かの有名な自動車評論家T大寺氏をもって「クロノスの悲劇」と言わしめたのは有名な話.

そんな中、7代目ファミリアシリーズは、6年間と言う長いモデルチェンジサイクルを全うした. マツダによれば、当時のファミリアシリーズは売れ行きが好調だったので、フルチェンジを延長したのだと言うが、バブル崩壊の先を睨んだ深い戦略があったのではないかと、私は思う.


ランティス登場
そして、満を侍して登場したランティス. 前でも触れたが、高いボディ剛性と、走りの素質. さらにボディ設計者が「ボディ側面への写り込みは、世界一美しい」と自負する、優美なデザイン. ライバルは、当時最高の性能を誇る4ドアFFのプリメーラだった. ランティスの販促マニュアルビデオを見たことがあるが、比較対象はプリメーラとカリーナEDだった. (カリーナEDは引き立て役にすぎなかった事を付け加えさせて頂く)

詳細は、ランティス専門ホームページ"THEIS Lantishe"をご覧になれば、そのデザインスピリットと高性能ぶり、世界中のエンスーの熱い思いが良く分かって頂けると思う.

しかし、ハネムーンは短かった

Crisis
ランティスのセールスが好調だったのはその出だしだけで、コロナ・プレミオ、二代目プリメーラ等のライバルに押されるのみならず、ホンダがCR-Vで火を付けた「町乗り用RV」ブームに押されて、乗用車全体の売り上げは下降線をたどって行く.
やはり、5ドアHBは売れないのか? 97年5月に、ランティスは販売を完了し、後継車の発売はなかった.

スポーティFFにも、新しい波が興った. インテグラ.タイプRの出現だ. バイクの用にどこまでも回る高性能エンジン、軽量で高性能なシャーシー. まさに公道を走るレーシングカーとでも言うべき、全身高性能.

これには心から拍手を送りたい. もしも、ロードスターにあのエンジンが載っていれば、どんなに楽しいクルマになっただろう?
マツダは、フォードの支配下に収まった. 「厳しいマイホームパパ」のヘンリー・ウォレスが社長に就任し、大胆な改革を進めた. 増えすぎた販売チャンネルを統合し、ファミリア・ネオが消えトラディショナルな3HBのファミリアと交代し、カペラが復活した. 厳しい経営状態の中、フェスティバをベースにデミオを開発し、カペラ・カーゴもフルチェンジした.

そんな中、ロータリーエンジンの開発にかかる莫大な経費が、経営上問題になっている. マツダが誇るピュアスポーツカーRX−7の未来に、暗雲がたちこめている.

しかし、マツダは、世界で初めてロータリーエンジンの大量生産に成功し、名車コスモ・ロータリー、RX−7を生み、ル・マンで大活躍、そしてロードスターで世界的なライトウェイトスポーツのムーヴメントを巻き起こした、スポーツカーの名門であり、巨大な金脈を掘り起こす手腕は(RVブームではホンダに出遅れたが)第一級のものである.


What's Next?
ホンダは、97年秋に日産を抜いて業界第二位に躍り出た. だが、盛者は必ず衰える. 私は、マツダの底力を信じ、次の時代においてパイオニアとしてのマツダの復活を切望する.
21世紀のマツダが、どのようなスポーツカー、そして新しいデザインを見せてくれるのか、そこにアスティナの面影はあるのだろうか? 今から待ち遠しくてならない.
1998年1月 文責:中原 久

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Authored by Hisashi Nakahara, 1998